2012年05月17日
■僕の生きる道 第十章 新たな生活
30代後半を過ぎて、障害者制度も新たに見直され、支援費制度から自立支援制度に変わり、かつて住んでいたグループホームから他のグループホームへ移り住むようになった。



当時は5人暮らしで、それぞれの部屋があり長屋みたいな生活。


時に自分ひとりで行きつけの居酒屋へ飲みに行ったことも。行きつけの居酒屋というのは、かつてのグループホームにいた頃に一人の知人と飲みに行った事がきっかけで、通い続けて7年にもなる常連の店だった。

毎回その店を訪れるたびにそこの亭主が温かく迎えてくれて、他の客が注文しない間は僕の口に食べ物を入れて貰ったりしていた。
当時は5人暮らしで、それぞれの部屋があり長屋みたいな生活。
時に自分ひとりで行きつけの居酒屋へ飲みに行ったことも。行きつけの居酒屋というのは、かつてのグループホームにいた頃に一人の知人と飲みに行った事がきっかけで、通い続けて7年にもなる常連の店だった。
毎回その店を訪れるたびにそこの亭主が温かく迎えてくれて、他の客が注文しない間は僕の口に食べ物を入れて貰ったりしていた。
続く、次回もお楽しみに…!!
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20:21
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2012年05月10日
■僕の生きる道 第九章 日中活動
日中の活動としては一時期作業所をしていた時期があって、所内の庭先で畑を耕したり、メンバー全員で作業所を飛び出して社会勉強したり、乾物売りやバザーのイベントに賛同したりと数々の活動をしてきた。ボランティアを募りながらもメンバー全員で活動を頑張ってきたが、数年もしないうちにみんなそれぞれの事情で活動ができなくなり、残念なことに初代の所長も辞めてしまった。
やがて、僕が作業所のリーダーとしての役割を与えられ、残されたメンバーたちと共に頑張って行くつもりでいたが、使命感や今後の作業所の方向性を決めようとする焦りがプレッシャーとなり、全く先のことは見えてこなかった。
そのうち作業所に新たなメンバーが増え、少しは作業所らしい活動ができてきたのだろうか。
パソコンで名刺作りを始めたのはよかったものの、一般の印刷業は客の注文を納品日までに仕上がっていなければいけないものを、すぐに出来るだろうと思い込んで後回しにして納品日を遅らすと言ういい加減な結果に…。
それを目の当たりにした一部の依頼者からも何度も指摘を受けた。
確かに少し世間を甘く見ていたかも知れないが、こうして指摘を受けることで、本格的に名刺作りをやるにしろ、注文を受けたからには自分に責任を持って仕事するという厳しさを知った。そして、自分にとって人生における貴重な学びだったと実感している。
自分たちで作業所をしてきてどれぐらい時が過ぎただろう。名刺作りのほかにも牛乳パックで名刺を入れるケース作りやメンバーがスケッチしたものをパソコンに取り込んで、ボランティアたちとオリジナルTシャツを作り、イベント会場で販売をしたものだ。
作業所に纏わる思い出は尽きないほどたくさんあるが、今はこの辺にしておこう。
やがて、僕が作業所のリーダーとしての役割を与えられ、残されたメンバーたちと共に頑張って行くつもりでいたが、使命感や今後の作業所の方向性を決めようとする焦りがプレッシャーとなり、全く先のことは見えてこなかった。
そのうち作業所に新たなメンバーが増え、少しは作業所らしい活動ができてきたのだろうか。
パソコンで名刺作りを始めたのはよかったものの、一般の印刷業は客の注文を納品日までに仕上がっていなければいけないものを、すぐに出来るだろうと思い込んで後回しにして納品日を遅らすと言ういい加減な結果に…。
それを目の当たりにした一部の依頼者からも何度も指摘を受けた。
確かに少し世間を甘く見ていたかも知れないが、こうして指摘を受けることで、本格的に名刺作りをやるにしろ、注文を受けたからには自分に責任を持って仕事するという厳しさを知った。そして、自分にとって人生における貴重な学びだったと実感している。
自分たちで作業所をしてきてどれぐらい時が過ぎただろう。名刺作りのほかにも牛乳パックで名刺を入れるケース作りやメンバーがスケッチしたものをパソコンに取り込んで、ボランティアたちとオリジナルTシャツを作り、イベント会場で販売をしたものだ。
作業所に纏わる思い出は尽きないほどたくさんあるが、今はこの辺にしておこう。
続く、次回もお楽しみに…!!
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17:57
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2012年04月20日
■僕の生きる道 第八章 悪い僕の癖
もちろん人として自己判断・自己決定・自己責任の三原則は大切な事。これを怠ってしまうと我が者に変貌して、いろんな面でトラブルが発生すると同時に人間関係がおかしくなってしまうだろう。僕もそんな経験に遭いそうになったときがあった。
例外にあげれば、ある日遠出をしてしまって、ホームの世話人に遅くなるとの連絡もなしに約束の時間より1時間も待たせてしまった事。世話人は他の仕事を終えて僕の帰りを待っていたというのに、僕は《1時間ぐらい遅くなって良いだろう!》と後先の事も考えず、ホームに帰ってきたことがいけなかった。
世話人は呆れた様子で僕を叱ってきた。
「あんた…何様のつもり…この時間までどこ行ってた!、遅くなるなら電話をかけても良かったじゃない…!?」と剣幕の表情だった。
僕は申し訳ない気持ちがいっぱいだった。
「すまない…」と誤ることだけで何も言い返す言葉もなく…。それからと言うもの、その事件があったきっかけで、外出する際には常に連絡を取るようにしている。
例外にあげれば、ある日遠出をしてしまって、ホームの世話人に遅くなるとの連絡もなしに約束の時間より1時間も待たせてしまった事。世話人は他の仕事を終えて僕の帰りを待っていたというのに、僕は《1時間ぐらい遅くなって良いだろう!》と後先の事も考えず、ホームに帰ってきたことがいけなかった。
世話人は呆れた様子で僕を叱ってきた。
「あんた…何様のつもり…この時間までどこ行ってた!、遅くなるなら電話をかけても良かったじゃない…!?」と剣幕の表情だった。
僕は申し訳ない気持ちがいっぱいだった。
「すまない…」と誤ることだけで何も言い返す言葉もなく…。それからと言うもの、その事件があったきっかけで、外出する際には常に連絡を取るようにしている。
続く、次回もお楽しみに…!!
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16:41
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2012年04月20日
■僕の生きる道 第七章 第二の人生が始まる
人生をかける最大の決断から3カ月。12年にも及んだ大人の施設生活に別れを告げて、地域社会へ溶け込んで行った。
1999年10月。僕は那覇市内のアパートに3人で暮らしを始めた。いわゆるグループホームである。
重度身体障害者のグループホームは制度的に認められてなかったので、日常の生活費は年金や障害者特別手当などで賄い、それ以上の足りない部分はボランティアを募り補っていた。

1年が過ぎ…、2年が過ぎて…。次第に生活にも落ちつき地域社会にも少しずつ馴染んできた。

外出が好きな僕は自慢ではないけど、愛車の電動いすに乗って沖縄本島・南部の至るところに出没する恐るべし奴。

施設にいた頃はそんな事やりたくても、後に問題視されるのが嫌で出来なかった。それに比べて地域生活の方が遥かに楽しいのである。
1999年10月。僕は那覇市内のアパートに3人で暮らしを始めた。いわゆるグループホームである。
重度身体障害者のグループホームは制度的に認められてなかったので、日常の生活費は年金や障害者特別手当などで賄い、それ以上の足りない部分はボランティアを募り補っていた。

1年が過ぎ…、2年が過ぎて…。次第に生活にも落ちつき地域社会にも少しずつ馴染んできた。
外出が好きな僕は自慢ではないけど、愛車の電動いすに乗って沖縄本島・南部の至るところに出没する恐るべし奴。
施設にいた頃はそんな事やりたくても、後に問題視されるのが嫌で出来なかった。それに比べて地域生活の方が遥かに楽しいのである。
続く、次回もお楽しみに…!!
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16:30
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2012年03月23日
■僕の生きる道 第六章 決断の時
単独外出なんて施設の許可なしでは、外にも出る事はできなかった。
そんな施設生活が若干嫌に思えて、何時しか心の底でこの施設から退所するチャンスを望むようになっていた。
そんなある日、地域で暮らしている先輩が僕を尋ねてきた。
「自分の知人が重度心身障害者の会の代表をしていて、その人が那覇市で重度障害者のグループホームを作る計画しているみたい…。その準備をしている段階だけど一度良かったら会ってみない…!?」との誘いだった。
僕は直ぐには答えられなかったが、後日「会いに行く」との返事した。
数日後、先輩とその人の所へ会いに行った。
その人は白髪混じりで頑固そうな人。最初の対面は誰にしろドキドキ感があるものだけど、僕もそんな感じで体が蝋人形のように膠着していた。
いろいろ説明を受けているうちに、だんだん話に集中がなくなり、何を聞いているのかさっぱりチンプンカンプン(内容が分からなくなる事)だったが、その人が「施設から出たいのなら、後押ししてあげるよ!」と話してくれたお陰で、将来への希望が膨らんできた。
僕は決断した。施設を退所する事を…。
そんな施設生活が若干嫌に思えて、何時しか心の底でこの施設から退所するチャンスを望むようになっていた。
そんなある日、地域で暮らしている先輩が僕を尋ねてきた。
「自分の知人が重度心身障害者の会の代表をしていて、その人が那覇市で重度障害者のグループホームを作る計画しているみたい…。その準備をしている段階だけど一度良かったら会ってみない…!?」との誘いだった。
僕は直ぐには答えられなかったが、後日「会いに行く」との返事した。
数日後、先輩とその人の所へ会いに行った。
その人は白髪混じりで頑固そうな人。最初の対面は誰にしろドキドキ感があるものだけど、僕もそんな感じで体が蝋人形のように膠着していた。
いろいろ説明を受けているうちに、だんだん話に集中がなくなり、何を聞いているのかさっぱりチンプンカンプン(内容が分からなくなる事)だったが、その人が「施設から出たいのなら、後押ししてあげるよ!」と話してくれたお陰で、将来への希望が膨らんできた。
僕は決断した。施設を退所する事を…。
続く、次回もお楽しみに…!!
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20:25
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2012年02月16日
■僕の生きる道 第五章 禁じられた単独外出。
日常な生活も大切なことだけど、気晴らしに外出する事も必要だ。
しかし、施設側としては、入所者は家族からの大切な預かり者なので何かあった場合に責任を追及されるのが恐ろしく、なるべくなら単独外出は望ましくないのが実情だった。
僕はそのことを知ってか知らずか、年に数回の割合で実習に来ていた専門学生たちと期間終了後にカラオケや居酒屋、ドライブ、コンサートなどを楽しんだものだ。僕は恒例の事ながら専門学生と出かける回数が多くなり、時より怪我して帰ってくることも稀ではなかった。
そんな時、後日、僕の所へ謝罪に訪れる学生もいて、僕が許せても、学生の立場としては自分自身に責任を感じていたのかも知れない。
一例に挙げれば…。
その学生はあるスポーツのマネージャーをしていた為、所属しているチームには僕の同級生がメンバーにいた訳から、恐らくその人に会わせるために何度か僕を誘ってくれたものだった。僕はこの行為に物凄く親近感が沸いて、とても嬉しかった。
施設に戻ってきて車から車椅子に移動する際に彼女が僕の体を支え立位しようとした瞬間、誤って足を滑らし転んでしまった。この夜は降りしきる雨でうろたえる二人。
彼女は全力の力を振り絞りよれよれになった僕の体を何とか車椅子に移したものの、体の至る所に痣ができ、翌日問題視されることが目に見えていた。
それよりも彼女の心の傷は計り知れない大きなクレーターのように広がっていた事だろう。
彼女のことを思えば思うほど辛いものがあり、どうにもできない自分がとても歯痒く感じていた。
しかし、施設側としては、入所者は家族からの大切な預かり者なので何かあった場合に責任を追及されるのが恐ろしく、なるべくなら単独外出は望ましくないのが実情だった。
僕はそのことを知ってか知らずか、年に数回の割合で実習に来ていた専門学生たちと期間終了後にカラオケや居酒屋、ドライブ、コンサートなどを楽しんだものだ。僕は恒例の事ながら専門学生と出かける回数が多くなり、時より怪我して帰ってくることも稀ではなかった。
そんな時、後日、僕の所へ謝罪に訪れる学生もいて、僕が許せても、学生の立場としては自分自身に責任を感じていたのかも知れない。
一例に挙げれば…。
その学生はあるスポーツのマネージャーをしていた為、所属しているチームには僕の同級生がメンバーにいた訳から、恐らくその人に会わせるために何度か僕を誘ってくれたものだった。僕はこの行為に物凄く親近感が沸いて、とても嬉しかった。
施設に戻ってきて車から車椅子に移動する際に彼女が僕の体を支え立位しようとした瞬間、誤って足を滑らし転んでしまった。この夜は降りしきる雨でうろたえる二人。
彼女は全力の力を振り絞りよれよれになった僕の体を何とか車椅子に移したものの、体の至る所に痣ができ、翌日問題視されることが目に見えていた。
それよりも彼女の心の傷は計り知れない大きなクレーターのように広がっていた事だろう。
彼女のことを思えば思うほど辛いものがあり、どうにもできない自分がとても歯痒く感じていた。
続く、次回もお楽しみに…!!
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18:38
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2012年02月13日
■僕の生きる道 第四章 夢なのか…現実なのか…幻の日。
高校を卒業すると同時に僕は成人の施設に入所する事になった。時たま祖母が面会に来てくれる程度で、年に数回しか家にも帰れなかった。
施設生活では毎日3回の食事と週2回の入浴、それ以外は自分の時間に当てられて自由が幾らでもあった。
しかし、その時間というのは建物内しか行動できなかったこと…。
唯一の楽しみにしていたことは、自分の部屋でワープロを打つ事や施設の年間行事ぐらい。
高校時代から文章を書くことが好きだった僕は、限られた自由時間の中で、詩や短編小説ようなものを書いていた。
1990年の時、県内のボランティア団体が企画して、「わたぼうしコンサート・大きな輪」のイベントが開催された。僕もそのイベントに詩を応募して見ることに…。
応募した詩のタイトルは「僕の願い…」という題で、当時親しくしていた女性(ひと)に恋心を抱き、その思いを詩に託したものだった。
多くの応募の中から偶然にも僕の詩が候補に選ばれ、残念ながら曲をつけるまでに至らなかった。本番当日にはステージの上で朗読してもらい、何よりも嬉しかったことだろうか…。
それからと言うもの7年の月日が経ち、どう言うわけか僕にCDデビューの話が舞い込んできた。
しかも、90’のコンサートイベントで入選した詩「僕の願い…」に曲をつけてCD化にするもので、

当時は2000枚もリリースし、実際に何枚売れたのかは分からないが、県内の新聞やテレビなどと言ったマスコミ達に話題性を高められ、一躍有名人になった。

ちょっぴり恥ずかしさと信じられない気持ちが入り混じって素直に喜べなかった事が本音のところ。
でも、僕が書いた「僕の願い…」には何か人の心を引き寄せるものがあって、CD製作に携わってくれた人たちに心から感謝しなけれはならない。
「ありがとう!」と…。
施設生活では毎日3回の食事と週2回の入浴、それ以外は自分の時間に当てられて自由が幾らでもあった。
しかし、その時間というのは建物内しか行動できなかったこと…。
唯一の楽しみにしていたことは、自分の部屋でワープロを打つ事や施設の年間行事ぐらい。
高校時代から文章を書くことが好きだった僕は、限られた自由時間の中で、詩や短編小説ようなものを書いていた。
1990年の時、県内のボランティア団体が企画して、「わたぼうしコンサート・大きな輪」のイベントが開催された。僕もそのイベントに詩を応募して見ることに…。
応募した詩のタイトルは「僕の願い…」という題で、当時親しくしていた女性(ひと)に恋心を抱き、その思いを詩に託したものだった。
多くの応募の中から偶然にも僕の詩が候補に選ばれ、残念ながら曲をつけるまでに至らなかった。本番当日にはステージの上で朗読してもらい、何よりも嬉しかったことだろうか…。
それからと言うもの7年の月日が経ち、どう言うわけか僕にCDデビューの話が舞い込んできた。
しかも、90’のコンサートイベントで入選した詩「僕の願い…」に曲をつけてCD化にするもので、

当時は2000枚もリリースし、実際に何枚売れたのかは分からないが、県内の新聞やテレビなどと言ったマスコミ達に話題性を高められ、一躍有名人になった。
ちょっぴり恥ずかしさと信じられない気持ちが入り混じって素直に喜べなかった事が本音のところ。
でも、僕が書いた「僕の願い…」には何か人の心を引き寄せるものがあって、CD製作に携わってくれた人たちに心から感謝しなけれはならない。
「ありがとう!」と…。
続く、次回もお楽しみに…!!
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17:52
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2011年11月30日
■僕の生きる道 第三章 青春時代

初々しい小学一年生…。一張羅の服を着て記念撮影。
「少し上向で、ジュリーのものまねかよっ!」
養護訓練の様子。いつか歩けるようにと強く願っていた一年生の頃の僕…。

小学三年の頃の記念写真だと思うのだが、幼かった頃の自分たちを見ると、やっぱり可愛い…。
ここはどこだろう…?。みんな総出でピクニックかな…!。

宿泊学習はウキウキ・ワクワクの一泊二日…。大変だったけど、楽しかった。
年に一度の運動会。後ろ向きで駆け抜ける中学生の僕。急げ!、ゴールは目の前だぞ…!!。
これから僕は海に潜りに行ってきます。
「浮き輪つけて潜れるのぅ…!?」
草原を散歩…なのぅ?。なんか金八先生が歩いて来そう…!。
「青春ドラマの見すぎじゃぁあ~りませんか!」
中学生の卒業式。いろんな思いが8ミリ映画のように溢れ出し、懐かしく思わず涙がポロリ…。
続く、次回もお楽しみに…!!
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11:59
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2011年11月21日
■僕の生きる道 第二章 恋 心
青春時代で最も甘酸っぱい思い出といえば、人を恋することだろう。
僕はこれまで数々の女性に恋をしてきた。

初恋は小学2年生の時、入園していた施設の病棟で働く看護婦さんに恋を抱いていた。
僕にとってその人は天使のようでしなやかな女性(ひと)で、出勤してくるたびに胸がドキドキしたもの。

ある日、自分の気持ちを伝えたくて、金メッキで加工されたミニチュアのドラえもんキーホルダーを毛糸の紐などでペンダントを作りプレゼントしたものだ。僕の純粋な気持ちで…。
その人は片手で握り閉めなから幼い僕の好意を無にすることなく、「ありがとう!」と笑顔で僕の頬を擦ってくれた。たぶん、看護婦の立場として僕にやさしく接してくれただけかもしれないが…。そんなことも知らない僕は夢が広がるばかりだった。

年が明けてバレンタインの時期がやって来ると、市販されたハート型のイチゴチョコを祖母に買ってきてもらい、こっそりと手渡すつもりでいたが、なかなかタイミングが掴めなくて結局は部屋のみんなの前で渡すことに…。一時期は仲間から冷やかしの声が騒がれていたというせっかくのバレンタインが最悪だった。
やがて、憧れのあの人は、後にこの施設を退職することになった。訳は勉学に励むことかの自ら選んだ道だった。辞めるうわさを耳に入って来たとき僕は内心〈辞めてほしくない…〉と何度もそう願っていたが、最後の出勤日になって僕に語った言葉が「手紙書くから元気でいるんだよ!」とその一言を残して…。
僕はしばらく初恋の看護婦さんを忘れることができなかった。例えそれが片思いであったとしても、来る日も来る日もその人のことばかり考えていたという。

そして月日は流れ、一度は手紙が届いたものの、それっきり音沙汰もないまま僕の青き初恋は幕が下りた。
その後も新たな恋が始まり、出会う人はいつも決まって片思いする人ばかり。一度でいいから恋人と呼べる女性(ひと)と本当の恋をしてみたいものだ。
僕はこれまで数々の女性に恋をしてきた。

初恋は小学2年生の時、入園していた施設の病棟で働く看護婦さんに恋を抱いていた。
僕にとってその人は天使のようでしなやかな女性(ひと)で、出勤してくるたびに胸がドキドキしたもの。
ある日、自分の気持ちを伝えたくて、金メッキで加工されたミニチュアのドラえもんキーホルダーを毛糸の紐などでペンダントを作りプレゼントしたものだ。僕の純粋な気持ちで…。
その人は片手で握り閉めなから幼い僕の好意を無にすることなく、「ありがとう!」と笑顔で僕の頬を擦ってくれた。たぶん、看護婦の立場として僕にやさしく接してくれただけかもしれないが…。そんなことも知らない僕は夢が広がるばかりだった。

年が明けてバレンタインの時期がやって来ると、市販されたハート型のイチゴチョコを祖母に買ってきてもらい、こっそりと手渡すつもりでいたが、なかなかタイミングが掴めなくて結局は部屋のみんなの前で渡すことに…。一時期は仲間から冷やかしの声が騒がれていたというせっかくのバレンタインが最悪だった。
やがて、憧れのあの人は、後にこの施設を退職することになった。訳は勉学に励むことかの自ら選んだ道だった。辞めるうわさを耳に入って来たとき僕は内心〈辞めてほしくない…〉と何度もそう願っていたが、最後の出勤日になって僕に語った言葉が「手紙書くから元気でいるんだよ!」とその一言を残して…。
僕はしばらく初恋の看護婦さんを忘れることができなかった。例えそれが片思いであったとしても、来る日も来る日もその人のことばかり考えていたという。
そして月日は流れ、一度は手紙が届いたものの、それっきり音沙汰もないまま僕の青き初恋は幕が下りた。
その後も新たな恋が始まり、出会う人はいつも決まって片思いする人ばかり。一度でいいから恋人と呼べる女性(ひと)と本当の恋をしてみたいものだ。
続く、次回もお楽しみに…!!
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18:48
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2011年11月07日
■僕の生きる道 第一章 運 命
昭和44年5月1日。世はメーデーなどと労働者団体が一大イベントで盛り上がっているというのに、那覇市内にある一角で産声を上げた男の子。全身は色黒く未熟児に生まれてきたと言う。

一時期は両親の元で深い愛情に包まれていたが、その幸せも長くは続かず両親は訳があって離婚し、物心がついた頃には母方の祖母に育てられていた。
僕の体が異変に気づいた時は自分で知るよしもなく、後に聞いた話では、最初は普通のようにヨチヨチと歩いていたそうで、一度転んだときから自力で起き上がることも出来なくなったと…。
祖母は幼い僕を背に負んぶして何度も違う病院を駆け回り、ついに探し当てたところが僕を摘出した産婆の所だった。そこに居合わした医学博士と呼ばれる先生に診てもらったところ、診察結果は脳性小児マヒと分かった。
その結果を聞いた祖母は何を思ったのだろう。そして、その他の親戚たちは何を感じただろう。最初は誰一人気が同点して一歩距離置いた見方をしていたかも知れないが、特に年齢が近いいとこ達とはよく遊んだ記憶にある。

小学・中学・高校の頃はほとんど施設生活で、初めて施設に入園した頃は毎晩のように祖母が恋しくてシクシク泣いていた。たまに家に帰ると祖母の手料理がどこか懐かしい素朴な味で、特に祖母の伝統的料理(ソーキ汁)が格別美味しかった事が懐かしく思う。
一時期は両親の元で深い愛情に包まれていたが、その幸せも長くは続かず両親は訳があって離婚し、物心がついた頃には母方の祖母に育てられていた。
僕の体が異変に気づいた時は自分で知るよしもなく、後に聞いた話では、最初は普通のようにヨチヨチと歩いていたそうで、一度転んだときから自力で起き上がることも出来なくなったと…。
祖母は幼い僕を背に負んぶして何度も違う病院を駆け回り、ついに探し当てたところが僕を摘出した産婆の所だった。そこに居合わした医学博士と呼ばれる先生に診てもらったところ、診察結果は脳性小児マヒと分かった。
その結果を聞いた祖母は何を思ったのだろう。そして、その他の親戚たちは何を感じただろう。最初は誰一人気が同点して一歩距離置いた見方をしていたかも知れないが、特に年齢が近いいとこ達とはよく遊んだ記憶にある。
小学・中学・高校の頃はほとんど施設生活で、初めて施設に入園した頃は毎晩のように祖母が恋しくてシクシク泣いていた。たまに家に帰ると祖母の手料理がどこか懐かしい素朴な味で、特に祖母の伝統的料理(ソーキ汁)が格別美味しかった事が懐かしく思う。
続く、次回もお楽しみに…!!
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2011年08月17日
僕の一日…。
今日も僕の一日がやってきた。
曜日によって起きる時間帯はまちまちなもので、朝8時に男性ヘルパーが来て、起床・トイレなどをしてくれる。
朝食は時より目玉焼きとポークを解してご飯と一緒に食べる事もあるが、だいたいが食べるヨーグルトにバナナとみかんの缶詰めを混ぜて食べていることが日常的。
午前中は入浴をメインにしているが、その前にお腹の調子を確認するためトイレのペンザで待機。
でも、ウンコが出そうで出なかったときが厄介物。まるで一日の運を決める一大イベント、宝くじのように…。
トイレに引きこもって数十分、その間はヘルパーに布団干しや掃除、午後に備えてある程度の準備などをお願いしている。
入浴は角材で作ったすのこの台にマットを敷き、その上に倒れてヘルパーに体を洗ってもらいながら、男同士でエロトークにサクセス。
浴室から気持ちよく出てくると、最近住み着いた足の水虫クンを退治するためドライヤーで乾かし、綿棒やティッシュなどで耳のメンテナンス。
ヘルパーが浴室を片つけている間その日によって違い、食卓でテレビ見ながら冷たい麦茶で喉を潤しているか、パソコンの前でメールチェックをしているかどちらか。
昼食はだいたいその日の思いつきで献立を決めますが、献立を考えるのに面倒な場合はヘルパーに弁当を買ってきてもらうことも…。
因みに今日の昼食は、油味噌と野菜チャンプルーとご飯…。野菜チャンプルーはSさんという男性ヘルパーが丹誠にこめて作った料理だけに、味のほうは絶妙…かな?。
アナログ放送から地デジ放送に変わり流れてくる番組をただ単に見ながら、昼食を間食すると午後の活動へ…。
午後の活動のほとんどが自己流。家でパソコンをしたり、
電動車いすに乗って到る所に出没したり。
ヘルパーは早くても14時には帰るので、その間に細かい身支度しなけばいけない。
次にヘルパーが来るのは夜7時になるので、外出のときはほとんど8・9時に変更することが多い。ヘルパーからしてみればとんだ迷惑に思う人もいるかもしれないけど、僕がその時間に帰ってくると笑顔で出迎えてくれて、頭が下がる気持ちでいっぱい。
夕食は体のためにヘルシー食を考えたいところだが、味がコッテリ系が好きな僕だけにそんなことはなかなか難しいもの。
しかも親友がやっているダイエット法を実際に[朝と夜はご飯を残しておかずだけ。昼をたくさん取る]を試してみたけど、気づいたときには出来てなかったという残念な結果に…。
どんなに頑張っても物によっては「炭水化物」は必要だね!。
夕食が終わると、朝のようにトイレの便座に座りウンコの道しるべを待ち続けるだけ…。数十分が経ちヘルパーが食器を洗い終えると、歯磨き・洗顔へ…。
就寝まで少々時間があるときは、コップ一杯のアルコールを流し込む。以前は泡盛や焼酎などを口にしていたが、最近では洋酒を飲むようになっている。
でも自分にとってこの瞬間がくつろぎの一時だったり…な~んてね!…その他にも…。
一杯の酒でほろ酔い気分。就寝時はヘルパーが帰ると朝まで誰もいないので、敷布の横には常にオマルや家電のリモコン、電話などを置き、
特に夏場は長時間一人でいると熱中症になりやすいので、枕元には水分補給用のペットボトルを用意している。
これは何でしょう?。正解は「緊急通報システム」と言う。昨年8月31日に僕の枕元へ設置したこの機器は、緊急時に赤いボタンを軽く押すだけで「安心センター」につながり、そこから登録された事業所へ連絡が行く画期的システム。夜も安心して眠れる今日この頃。
だいたい、それが自分なりに生きているスタイルさっ!。
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2011年06月25日
僕のスマイへ、よ~こそ!。
ここが僕の住処にしている屋形。
ごく普通な台所。
せっかく来てくれたのに、
たいした料理も出せなくてアイム総理…!。
いつか男性のヘルパーに沖縄風のタコライスを作ってもらったら、
ハート型の目玉焼きが出来ていて、男の料理にしては神秘的
過ぎる…!!。
っていうか、本当ならチャーミングな女性に作って欲し
かったなっ!。
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22:03
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